「お米を通じて、産地を応援したい」。
商品紹介を考えているうちに、そんな話になりました。
いづよねが全国の産地を訪ねたり、生産者さんの想いをお客様に伝えたりしているのは、ただ美味しいお米を仕入れたいからだけではありません。
その土地を好きになってほしい。その土地で頑張る人たちを、食べることで応援できたらうれしい。
この想いについて話すなら、どうしても書いておきたいことがあります。2011年3月11日、東日本大震災が起きた日のことです。
配達先で聞いた「東北ですごい地震があったで」
あの日、僕は配達でとても忙しくしていました。
配達先のお客様から、「東北ですごい地震があったで。大きな津波が来て、車まで流されてるらしい」と聞いたんです。
「えっ、そんなことになってるんですか」と驚きながらも、目の前の配達に追われていました。家に帰って、夜にテレビを見るまでは、正直、実感が湧いていなかったんです。
僕は1995年の阪神・淡路大震災を経験しています。だからこそ、最初は心のどこかで「そんなに大したことはないんちゃうか」と思ってしまっていました。
今思えば、本当に不謹慎な考えでした。
夜、テレビをつけて、言葉を失いました。
津波が車も家も流している。多くの人が被害に遭っている。昼間に聞いた話が、ようやく目の前の現実になりました。
画面を見ながら、何かせなあかん、と思いました。
100円玉貯金を崩して、毛布を買いに走った
僕が最初にしたのは、それまで少しずつ貯めていた100円玉貯金を崩すことでした。
そして、知り合いの布団屋さんに行って、毛布をたくさん買い、東北へ送りました。
どうして毛布だったのか。
それは、僕が阪神・淡路大震災で経験したことが、ずっと体に残っていたからです。
1月17日の神戸は、本当に寒かった。
電気もガスも使えないと、暖を取ることさえ難しいんです。
東北の震災は3月。春が近いとはいえ、まだ寒い時期です。
だから、今すぐ寒さをしのげるものを届けたい。あの時の僕には、それが真っ先に浮かんだんです。
一度きりでは終わらない応援ができないだろうか
もちろん、義援金も大切です。毛布のような物資も、その時に必要な支えになります。
でも、少し時間がたって、僕は別のことも考えるようになりました。
被災地の暮らしや仕事が元に戻るには、長い時間がかかるんじゃないか。その間、離れた神戸にいる僕に、継続してできることはないだろうか。
考えて、考えて、最後に行き着いたのは、とても当たり前のことでした。
「そうや。僕は米屋やん」
自分にできることは、お米を通じて人を笑顔にすることや。
東北には、美味しいお米がたくさんある。
関西のお客様にその美味しさを知ってもらえたら、関西の食卓が笑顔になる。そして、東北のお米が売れることで、産地にも少しずつお金が回っていく。
そうしたら、遠く離れた神戸からでも、毎日の商売を通じて応援ができるかもしれない。
さらに、東北のお米を好きになった人が、いつか実際に東北へ足を運んでくれたら。そんなことも思っていました。
「応援してください」と強く言うより、美味しさを伝えたかった
だからといって、お客様に「復興支援のために買ってください!」と強くお願いしていた記憶は、あまりありません。
売り場のPOPには、東北のお米を1kg買っていただくごとに1円を募金用に積み立てることを書きました。レジ前にも募金箱を置いていました。
でも、お米をおすすめする時に、いちばん伝えたかったのは、やっぱり味でした。
実は震災より前から、山形県庄内の「のびのび」というお米に、僕はすっかり惚れ込んでいたんです。
コシヒカリつくばSD1号という品種のお米で、とにかく美味しかった。関西ではライスフレンドさんが「のびのび」という名前で販売促進に取り組んでいました。
しかも、この「のびのび」という名前を考えたのは、なんと神戸の小学生たち。神戸の米屋である僕が産地へ行くと、「ああ、のびのびの名付け親の神戸か!」と、温かく迎えてもらえたんです。
震災後は「のびのび」に加えて、秋田の淡雪こまち、青森のまっしぐら、宮城県登米市のひとめぼれやササニシキなど、東北のお米を次々に紹介していきました。
応援したいから仕入れる。でも、お客様には美味しいから買っていただく。
僕が目指したかったのは、そんな自然なつながりでした。
「東北のお米、放射能は大丈夫?」という声
当時、お客様から何度も聞かれたことがあります。
「東北のお米、放射能は大丈夫なん?」
いづよねは、保育所や保育園のお客様ともたくさんお取引をしています。小さな子どもたちが食べるお米だからこそ、ご心配になるのも当然だと思いました。
僕は当時、30万円ほどするガイガーカウンターを買い、東北から仕入れたお米を自分でも一つひとつ確認していました。
ただ、今の知識で振り返れば、その機械で食品中の放射性物質の量を正確に検査できたわけではありません。あの方法だけで安全を証明できた、とは言えないんです。
それでも、当時の僕は、お客様の不安を聞いて何もしないわけにはいかないと思っていました。
安心して食べていただきたい。その一心で、できることを探していたんだと思います。
販売数量が5倍になっても、「まだまだや」と思った
東北のお米を少しずつ増やしていく中で、僕の記憶では、東北米全体の販売数量が2年ほどで約5倍になりました。
その数字を見た時は、もちろんうれしかったです。
「ほんの少しは東北の応援ができてるんかな」
そんな気持ちもありました。
でも、不思議なことに、達成感でいっぱいになったわけではありません。
当時の販売数量は、まだまだ小さかったからです。
「うれしい。でも、まだまだ頑張らなあかん」
「もっと東北のお米の美味しさを知ってもらわな」
今振り返っても、うれしさと一緒に、そんな気持ちのほうが強く残っています。
お米を売ることは、産地の人とつながること
あの頃、東北のお米を紹介する楽しさに、僕自身がどんどん引き込まれていった気がします。
「のびのび」を通じて知り合った庄内の生産者さんの一人が、今では吉祥ファームの社長を務める佐藤吉法さんです。
当時はまだ若い農家さんで、お米作りにとても真剣でした。僕も若い農家さんとつながりたいと思っていたので、すぐに意気投合して、毎年のように庄内へ足を運ぶようになりました。
それから長い年月がたった今も、吉法さんは神戸に来てくれるし、僕も庄内へ会いに行きます。
震災より前から始まっていた産地とのご縁も、長く応援し続けたいという気持ちを支えてくれたんだと思います。
「のびのび」の名前の秘密や、吉法さんと最初に会った時の驚き、庄内の人たちのお米作りへの誇りについては、また別の機会にゆっくり書きたいと思います。
お米を買ってくださるお客様の食卓が、笑顔になること。
そのお米を育てる産地の人たちも、笑顔でお米を作り続けられること。
どちらも、僕にとって大切です。
震災があったから東北のお米を知ったわけではありません。もともと大好きだった東北のお米を、あの日から、もっと多くの人に届けたいと思うようになりました。
これからも、僕はお米屋としてできることを続けていきます。
産地を応援することと、お客様に美味しいお米を届けること。その二つを、ずっと一緒に大事にしていきたいと思います。
株式会社いづよね
四代目 川崎恭雄