神戸新聞さんに掲載されました その2

【連載第2回】崩壊した倉庫、そして「10円玉」に泣いた安売り競争の日々

皆さま、こんにちは。いづよねの「だいちゃん」です!🌾
今回は、いづよねの歴史の中で最も壮絶な「試練」と、必死の「再起」の物語です。

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米穀店いづよね②③ 新聞記事をチェック!

1995年1月17日。すべてが止まったあの日

 阪神・淡路大震災。いづよねの生命線だった商品倉庫は、阪神電鉄の高架とともにV字型に崩れ落ちました。
 絶望的な光景を前に、父・武さんとともに崩れた天井の下から商品を運び出し、冷え込む被災地へ灯油やお米を届けたことは、今の私たちの原点です。

新店舗オープン
1996年4月
 (投資額 約4,000万円)
魂の販促チラシ
毎月7万部
 (やすおさん自らデータ作成)

「型破り」なチラシで掴んだ絶頂期

 震災から1年3カ月。現在の場所に新店舗を構えました。
 やすおさんは独学でパソコンを学び、自分の水着姿の写真を載せるなど「お米屋さんの常識」を打ち破るチラシを連発。
 一時は芦屋税務署管内で、ダイエーやコープに次ぐ酒類販売額3位にまで上り詰めました。

「10円玉1枚」に負ける悔しさと虚しさ

 しかし、2001年の規制緩和がすべてを変えました。
 コンビニや量販店との激しい安売り競争が始まり、どんなに努力しても、わずか10円、20円の差でお客様が離れていく。

 「今までの努力が10円玉1枚に負けるのか。こんな商売は嫌や」

 絶頂期から一転、平日の来店客が300人から30人にまで激減。
 この時の「安売り競争の怖さ」を知った経験が、のちの「価値を伝えるお米屋さん」への大きな転換点となったのです。

【次回予告】

経営体力を削り、苦悩する日々の中でやすおさんを襲ったのは、まさかの「死を覚悟する大病」でした。
人生観を激変させたその出来事と、奇跡を呼んだ「玄米」の力についてお届けします。